現在たったひとつ現存するその「地震の間」が彦根城の下屋敷にあります。
彦根城は関ケ原の合戦の後、徳川幕府によって天下普請として琵琶湖湖畔にうかぶ彦根山に築かれました。琵琶湖に通じる水掘を周囲にめぐらせた同城の下屋敷は、地盤の軟弱な湿地帯を埋めたててつくられたこともあって「地震の間」の建設につながったのかもしれません。。
下屋敷御書院の奥にある「地震の間」は 今、大掛かりな改修工事で内部は見ることはできませんが、庭から見ても独特の構造が伺えます。
庭の一角に高さ2m近くまで積みあげられた石組。その高台の上に立つこけら葺き屋根のお茶室風の建物が「地震の間」。
地盤を固めるために積みあげられた石組は、地中はどの深さまで続いているかはわかりませんが、琵琶湖の干拓地に立つ下屋敷のことを考えると地下の固い地層から積みあげられているようです。